コラム

Baba YetuとCivilizationから感じる人類と戦争の歴史

今週のお題「わたしの好きな歌」

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2005年のゲーム、シヴィライゼーション4の主題歌として作曲されたBaba Yetu。

意味は「私たちの父」である。

この曲を聴いていると人間の歴史とは戦争と宗教なのだとしみじみと思う。

古代文明の時代から戦争を行い、文明、帝国の力を誇示するための建造物。そんな歴史を延々と繰り返し現代に至る。

そしてそんな愚かな人間の行動を嘆き、神に許しを請う。そんな歌だ。

今や先進国で戦争を推奨する国はどこにもない。まして日本は第二次大戦の敗戦以降、その風潮が強い。

”侵略戦争の末、敗れた”ここだけ切り取れば確かに日本は文句が言えないが、植民地を作り自国を豊かにするというのは欧米では当たり前に行われていたことだし、それに習って日本は植民地を増やそうとしただけだ。

さらに言えば、例え自分に落ち度があろうとも、核兵器を使用されたことに正式に文句を言わない国などというのは恐らく世界で日本だけであろう。

「確かに俺たちが悪かった。だが核を使ったのはやりすぎだ」

せめてこれぐらいの主張はするものだと思う。

言い換えればそれだけ日本は戦争で深いトラウマを植え付けられた。議論の余地なく「戦争はいけない」のである。

かつて、日本では戦争に消極的な態度をとるものや、戦争に反対する者は「非国民」のレッテルを貼られ、蔑まれた。

現代になって多くの人が声を大にして「戦争反対」と言える言論の自由を手に入れたと考えているが、実際には非国民と呼ばれる人たちが「戦争反対」から「戦争賛成」に変わっただけである。

事実、公的な立場が強い人間ほど核武装論や戦争肯定論は唱えられない。

法的な効力がないだけで事実上の言論統制である。

そのくせ、これだけの反戦意識があるにもかかわらず、戦国時代に虐殺の限りを尽くした織田信長や豊臣秀吉、日露戦争で活躍した秋山兄弟などが偉人の扱いを受けていることには強い違和感を覚える。

どういう理屈で過去の内乱や戦争などは肯定されているのだろうか。

日本人がいかに歴史を点でしか見ていないか。ということであろう。

歴史を紐解けば日本に限らず人間の歴史は戦争の歴史である。その戦争を否定してしまえばそれは我々人類の歴史を否定することにはなるまいか。

だからと言って戦争を肯定しいるわけではない。私が憤りを覚えるのは「非人道的」「野蛮な行為」「間違いだった」などで片づけ、戦争と一緒に我々現代人の礎を築いた先祖達の戦いをも片づけてはいないか、ということである。

我々の先祖がそんな野蛮で非人道的な行為の末、生き残ってきたからこそ我々の文明が存在するのだ。

その事実を無視し、「戦争」という行為そのものを非難すればそれすなわち人間そのものを非難することに他ならない。

戦争はするべきではない。それは間違いない。だが過去の戦争が間違いであったわけではない。少なくとも私たちが今手にしている「平和」は「戦争」によってもたらされている。

話が日本寄りになってしまったが私が語りたかったのは人類の戦争の歴史である。

この曲を聴いて戦争と平和を考える機会となってくれれば幸いである。

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