私のような非オシャレな人間にとって服を買いに行くというのは一大イベントである。
小学校の頃は従弟のおさがり、中・高は制服と学校指定ジャージという最強の武器があったが、大学で大いに困らされた。
「服を買いに行く服がない」とはよく言ったものである。
自意識過剰、一介の客でしかない私に店員がいちいち関心を持つわけもなく、仮に持たれたところで今後の私の人生に何の影響もないのにも関わらず
「変な奴が来た」とか思われたらどうしよう…
などと考えてしまうのである。
オシャレなど捨てきり、開き直った私は普段上下スエット、またはジャージで過ごしているのでこの”服買いに行けない症候群”からは解放されたのだが、社会人たるものどうしてもある程度服装に気を使った場に出席しなければならない時がある。
結婚式や葬式ほどにかしこまってくれれば着るものに困ることはないが問題は少しばかり公感のある、つまり完全身内ではない飲み会や食事会、イベントなどに出席するときなどだ。
このような場合、決まって「ラフな格好で構いません」との文言が添えられているが明らかに上下スエットで参加できる空気ではない。
かと言ってスーツで行くと浮いてしまう。そんなラフでいいけど親しき中にも礼儀あり的な場である。
このような場合、オシャレなど完全に諦めた私でも服を買いに行かなければならない事態となるのだ。
大学生の時ほど意識はしなくなったが、やはり服を買うという行為は私に限らず非オシャレな人間に取って相当にストレスになっているのだ。
そんな服を買いに行けない非オシャレで自意識過剰な私を救ってくれるのがネット通販である。

特にZOZOSUITを使えば自分の体に合わせて服を選べるのでネット通販最大の弱点、試着が出来ないという問題も解決してくれる。
これによって非オシャレ民も人目、主に店員の目を気にすることなく、服を買えるようになったのだが…
ひとつ未解決の問題が残っているのだ。
それが服を着ているモデル、皆イケメン問題である。
例えば木村拓哉が来ている服はかっこいいし、それを着ている木村拓哉もかっこいい。
木村拓哉がかっこいいことに加え、服もかっこいいことから相乗効果によってかっこよさが掛け算されるのである。
だが、この木村拓哉が着ている服を私が着てみるとしよう。
私も木村拓哉のようにかっこよくなるのか。答えはNoである。
逆に私のような人間がオシャレな服を着ているという痛さがプラスされるのである。
つまり、ダサい人間がこれらかっこいい服を着ると相乗効果はマイナスに掛け算されることになるのである。
したがって、ネット通販で「お、この服いいな」と思ってもそれはモデルによって引き上げられている可能性が高く、私が着用した時にどのように映るかは完全に未知数なのである。
このため、果たして自分にこの服が似合うのかどうなのか、というのがわかりにくいのだ。
しかしこの服を着ているのがデブで不細工なモデルであればどうだろうか。
自分が着た時のイメージもしやすいというものである。
よくテレビ番組などであるダサい人間のコーディネートなどがそれにあたる。
「え?こんなダサいやつもこんなになるの?」
これこそが私のような非オシャレ人間が求めているものであり、モデルとしての役割である。
このように考える非オシャレ人間は私以外にも相当数存在していると思われるので絶対にデブで不細工なモデルの需要はあると思うのだが……どうだろうか?