コラム

球数制限導入反対派は実際に犠牲者が出ても今の意見を貫き通せるのか

私は高校野球には明確なルールとして球数制限を設けるべきだと考えているが反対意見も根強い。

反対意見として多くあるのは

  • 一人の投手のためにチームの甲子園の夢を奪っていいのか
  • 投手交代は監督が適切なタイミングを見極めるべきである
  • その程度で壊れる選手はいずれ壊れる
  • 過去の大投手は皆沢山投げている。投げることで成長する

などだ。ひとつひとつ考えていきたい。

球数制限の導入は高校球児の夢を奪うのか

球数制限の導入は決して高校球児の夢を奪うことにはつながらない。

球数制限の導入は今までの野球戦略が変わるということにすぎないからだ。

野球はチームスポーツでありながら投手にパワーバランスが大きく傾けられた特殊なスポーツだ。

バスケットやバレー等で一人だけプロの選手を呼べるとなればチームによってどのポジションの選手を呼ぶかは意見が分かれるだろう。

だがこと野球に関しては投手一択だ。

絶対に打てる打者を連れてきても試合に勝てるかどうかはわからないが絶対に打たれない投手を連れてくれば負けることはないからだ。

そのため野球のチーム作りは投手中心に行われる。そして一人のエースピッチャーを作り上げることが出来ればそれだけでチーム力は著しく向上することになる。

球数制限の導入はこうした投手依存の戦略からチーム総合力で戦うという戦略が変わるということに他ならない。

どれだけ打撃力のあるチームであってもエースピッチャーを作れなければ勝てる可能性は極端に低いがエースピッチャーを無制限に酷使出来るルールを撤廃すればこういった低投高打のチームにもチャンスが生まれる。

球数制限の導入は高校野球に戦略の転換を求めるものであり、決して高校球児の夢を奪うことにはつながらない。

そして最後に。”投手一人のためにチームの夢を奪っていいのか”という主張には”チームの夢のために投手の将来を危険にさらしていいのか”と返したい。

監督が適切なタイミングで投手交代すれば球数制限は必要ないのか

甲子園に何度も出場しているような名監督はこのような意見を持つ者が多い。

これは一見正論に聞こえるが要は責任を監督に丸投げするということだ。

こうしておくと周りは楽である。もし投手がけがをすれば”酷使した”と監督を責めればよいわけで、投げさせなければ今回の大船渡高校のように”過保護だ”と責めればよいからである。

この議論がどのように転ぶにしてもこの結論に至ることだけは避けるべきだ。

甲子園で何勝もしている名将であったり何十年も高校野球に携わってきたベテランであれば適切なタイミングでの投手交代は可能なのだろう。

だが将来プロで活躍するような逸材は必ずしも名門に進むとは限らない。

このようなケースの場合、チームを指揮するのは一般的な高校教諭である。

また、どんな名監督も初めから名監督であったわけではない。中には経験の浅い監督もいるだろう。

そんな経験の浅い監督であったり、普通の高校教諭であっても適切に判断できるほど投手交代の判断とは簡単なものなのだろうか。

選手の将来に関わる以上、一個人の監督の判断にすべての責任を丸投げするのではなく、ルールやマニュアルとして明確な基準を設けるべきである。

ケガに弱い選手は所詮ケガをするのだから球数制限は必要ないのか

反対意見の中でこの意見は私は一番残念である。

ダメな奴や所詮ダメなのだからというような乱暴さがある。

というかこれはもはや責任転嫁ではなかろうか。

壊れたのはお前が弱かったからだ。したがって私に責任はない。

こんなことがまかり通っていいはずがない。

過去の大投手は皆かなりの球数を投げている

過去、先発完投型が主流だったプロ野球界において400勝を達成した金田正一投手や1シーズンに78登板もし、42勝というシーズン最多記録を持つ稲尾様など、確かに今では考えられないようなとんでもない過密稼働でも壊れなかった大投手は存在する。

しかしこれらは飽くまで結果としてそうであったとわかることである。現役選手の肩や肘がどの程度投げれば壊れるのか、どこまで酷使できるのかといったことは基本的にわからないのだ。

昭和の怪物、江川卓やプロ野球史上最高と評された高速スライダーを投げた伊藤智仁など、酷使されることで選手生命を大きく縮めた選手も少なくない。

選手一人一人の肩や肘の強度を計測できるのであれば一律の制限を設ける必要はない。

だが、それが出来ない以上、統一された基準が必要なのである。

球数制限の導入はそんなに慎重を期さなければいけないのか

以上のような理由から私は高校野球に球数制限を導入すべきであると考えている。

しかし、現場の監督に限って言えば球数制限の導入には消極的な意見が多いようだ。

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このような問題の場合、最終的な判断は現場に近い人間によって下されるべきだ。

したがって高校野球を実際に取り仕切る監督の多くが球数制限に反対なのであればそれは仕方がないと考えている。

だが、球数制限を導入することがなぜそんなに不都合なのかという疑問は常にある。

もしこれが逆であれば納得だ。

球数制限のルールがすでに存在しており、そのルールを撤廃しようというものであるならば慎重な議論が必要である。

だが球数制限が導入されたからと言って有望な選手の将来が絶たれるという事態に匹敵する不都合はないはずだ。

仮に今回の高校野球で大船渡高校の國保監督が決勝戦で佐々木投手を起用し、選手生命が絶たれてしまったと仮定しよう。

それでも反対派は投手交代は監督の判断に任せるべきの意見を貫き通せるのだろうか。

恐らくこのような悲劇が起こった場合、騒動は今回の比ではない。高校野球にまったく興味のないような人間も現在の高校野球の在り方を非難してくるだろう。

そうあっても故障したのは監督の責任であった。引き続き球数制限は導入せず、交代のタイミングは監督に一任するという意見が貫き通せるのであればもう何も言わない。

だがそんな悲劇が起こった場合、きっと彼らは世間の圧力に負けてしまうだろう。

そして球数制限が導入されることになるだろう。

どうせ導入するならば犠牲者が出る前に。それが私の願いである。

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